
WHAT'S IN ES? 1999/SEP.
(増井修氏のテキストは割愛させていただきます。)
そもそもアンディとマイク、二人の付き合いはどのくらいまで遡るの?
M(マイク・ジョイス):スミスが始まってからさ。
A(アンディ・ルーク):82年からだ。
M:セッションをしたんだ。マンチェスターにあるドローン・スタジオで。僕はモリッシーとジョニー・マーと、それから以前一緒に仕事したことのある別のドラマーとセッションすると思って出向いた。ところがアンディがスタジオに入って来たんだ。ジョニーの学校時代の友達だと言う。それが初めてだった。考えてみれば面白い出会いだったよ。
A:そう、特にもう一人のベーシストが姿をみせた時にはね。
M:そうそう。ガラス越しに何が起こってるんだろうって感じでのぞいて、もう一人のベーシストがいるって事が発覚したんだ。でもそれはジョニーがうまく処理したんだけど。いつものズル賢い手口で(笑)。だからアンディとは友達になる前にスタジオで一緒に演奏したんだ。それがなんと巧く行って。で、それから6ヶ月ほどかけて二人で共通のスタイルを見つけていった。というのは、最初二人のスタイルは全く対照的だったからね。僕はパンク・ロックの出身だったし、アンディはもっと音楽的(笑)というか、ニール・ヤングみたいな音楽の出身だったから。
A:ジョニーが教えてくれたんだけど、マイクはオーディションに来た時、マジック・マッシュルームで幻覚を見てたんだって?(笑)
M:確かに若かったからね。でもドラマーの地位は獲得したけどね。
じゃあ、二人ともバンドをやってはいながらも知り合いではなかったわけですね。
M:明らかにリンクはジョニー・マーだった。アンディをジョニーはスミスのずっと前からいろんなバンドを一緒にやっていた。ホワイト・ダイスとか。アンディはジョニーに初めてギターの手ほどきをした一人だしね。僕はスミス以前からジョニーのことは知っていた。Xクローズでジョニーが働いていた頃から。Xクローズといえばマンチェスターじゃ知られたトレンディ・スポットだったしね。僕はXクローズでたまに服を買ったりしたから、その頃からの知り合いだ。それが三人のつながりというか。
アンディはジョニーを学校時代から知っていたそうだけど。
A:そう、11歳の頃からの知り合いだ。当時の僕は髪が長くてカウボーイ・ブーツを履いたヒッピーだったんだ。僕は8歳の頃からクラシック・ギターのレッスンを受けていたんだけど、12歳の頃からかなり飽きててしばらくギターを手にしなくなっててね。でもジョニーと出会った時に同じような音楽ーニール・ヤングとかブルース・スプリングスティーンとかが好きだったから、それで意気投合して学校の音楽室で一緒にギターを弾くようになったんだ。それからホワイト・ダイスというバンドを結成したんだ。
4人ともアイルランド系の出身ですが、それがスミスに強い結び付きをもたらしたと思いますか?
M:そう思うね。
A:確かに4人ともじゃがいもが好きだからな(笑)。
M:何か関係があると思うね。明らかにアイルランド系特有の気質とか考え方とか。あまり細かいことは気にしないで重要な事だけ考えるというか。重要なことといえば、楽しく過ごすという事さ。
A:そう、常に楽しくやるって事。
アイルランド系という事が、ライフ・スタイルだけでなく音楽的な部分にも関係してきますか。例えば、カントリー&ウェスタンが好きとか。
M:まったくそうだね。ジム・リーヴス、フェリアンズ・レインボーなんてアイリッシュのダンスホール系のビッグ・バンドを両親が気に入って聴いていたよ。
A:僕の祖父母はアイルランド人だったけど両親はイギリスで生まれ育った。僕の名前の方が実際の生い立ちよりずっとアイルランドっぽいんだ。
M:アンディ・オローカティ。
Xクローズってどんな店だったんですか?
M:パンクの店だったな。一言でいえば。ジョンソンズの靴とかブーツとか置いてて。ジョニーもよく履いてたよ。皮製のジョンソンズのブーツ。僕は中古の合皮のブーツしか持っていなかったけどね。勿論ジョニーは勤めてたから店員割引があったはずだけどね。僕はあの頃16歳だったからあんな高価な靴を買うお金なんてなかったよ。
A:ジョニーはいつもかなり洋服には気を使ってたよ。ファッションにとり憑かれていたというか。なんて言うんだろ・・・・。
M:泥棒。貪欲。
A:(笑)違うってば。洋服にとり憑かれている人間のことだよ。他に言葉があるだろ?
M:それにしてもとってもヒップな店だったよな。地下にあってさ。ヴァイブがあるっつーか。82-83年頃にああいう店ってほとんどなかった。ボヘミアンというか、他人と違った服装をすることでステイトメントを主張しているというか。
スミスの初代マネージャーのジョー・モスも洋服の店をやってたんですよね。
M:クレイジー・フェイスっていうんだ。
そういったファッションサイドの動きというのもスミスの結成にかなり大きな要因だったわけですね。
M:まったくその通り。僕ら昔はジョーの店のジーンズを履いてた。ブラック・ジーンズで黄色のステッチの入ったやつ。
A:当時マンチェスターでブラック・ジーンズなんて他に履いてるやつはいなかったよな。今じゃ普通だけどさ。
M:彼こそがスミスをひとつにしか中心人物といえるだろうね。僕らPAシステムはおろか、リハーサル・ルームも機材車も無いし、金すらなかったからね。彼が僕ら全員の原動力だった。
A:小切手帳を手にした、ね。
M:彼はポートランド・ストリートにオフィスを構えてたんでそこが僕らのミーティング・ポイントになった。最上階のミシンのある部屋で僕らはリハーサルしたものさ。PAも自費で買ってくれて、シングルのレコーディング代も払ってくれた。バンも買ってそれで僕らはツアーをした。だからジョーがいなかったらスミスは在りえなかったのさ。バンドが存在したとしても初期の段階で諦めてたかも知れない。バンドを続けるのはとても大変だからね。もちろんそうした物質的なサポートもしてくれたけど、ジョーは僕らにとって精神的なサポートでもあった。音楽の歴史に精通していたし、ブルースやR&Bなんかにもかなり詳しかった。デトロイトでモータウンが運営されていたように、中心に強力なグループを置いて、そこに様々なシンガーを起用するという事を考えていた。ハウス・グループみたいな考え方さ。勿論僕らは僕らなりの考え方があったけどジョーのような経験ある人からそういったアイディアを教えて貰ったのは刺激的だったな。
A:それが”ハンド・イン・グローブ”でスミスとサンディ・ショウが一緒にやった理由だった。ハウス・バンドがいて、色んなシンガーとやる、というコンセプトだったんだよ。いつもそういう話をしていた。でも残念ながらこれ一曲しか実現しなかったけれど。
スミスのそもそもの結成のいきさつはジョニーがモリッシーの家に訪ねていったというエピソードが知られているけれど、それは事実なんですか?
A:事実らしいよ。
M:ロブのアイディアだったらしかったけどね。そのせいでロブとジョニーは仲が悪くなったみたいだよ。ロブがモリッシーの事を知っていたんだ。
A:そうなんだ。ビリー・ダフィを通して。スローター&ザ・ドッグズ時代から。
M:で、ジョニーはロブ・オールマンよりモリッシーと一緒にバンドがやりたかったらしいんだ。実際的にはモリッシーと知り合いになりたかったからロブと仲良くなったらしいんだ。ロブは後でそれに気がついたらしいけどね。
A:利用されたって思ったらしい。
モリッシーは、あなた方の仲間の中ではかなり有名だったんですか?
A&M:ノー。
A:噂のひとつも聞いた事がなかったけれど、学校時代は一部では笑いの的だったらしいよ。
M:髪を緑に染めてたんだよ。パンクの前にだよ。75年ごろだった。75年に緑の髪をしてるって、普通変わり者って思われるよね。明らかにニューヨークドールズからの影響だったんだけれどね。ニューヨーク・ドールズっていえばピストルズやマルコム・マクラーレンもかなり影響を受けてたよね。
A:それにかなり孤独だったよね。友達もいなくて、それは今でも変わりないけどね。
モリッシーは陸上に強かったらしいけど。走るのが速かったそうですね。
A:そうらしいね。でも追っかけたことが無いから証明できないけど(笑)。
スミスが巨大な成功を収めるにつれ、ジョニーとモリッシーの人柄や性格が段々と変わっていくのを目の当たりにしましたか?
A:毎日顔を合わせてたから大きな変化には気がつかなかった。でも変わってたんだろうね。今振り返ってみればそう思うよ。段々殻に閉じこもるようになっていった。自分の小さい世界に浸るようになっていったというか。初期の頃はまだ全員でやってる、そういう連帯感みたいなバンドのメンタリティがあったけどね。
M:でも変化は良い方向には向かわなかった。スミスの曲に”マネー・チェンジズ・エブリシング”って曲があるけど、まさにその通りだった。人間は歳を取れば変わるものだけど、僕個人としては、世界というか他人というか、外部に対する姿勢というのは変わっていないと思う。ところがモリッシーとジョニーのそれは大きく変わってしまったと思う。というのは、結成した頃は後期に起こったような事態が起こるなんて想像も出来なかった。しかし、明らかに人間は皆違うし、時間が経つにつれ彼らは僕らとは違った意見を持つようになった。それが、後におこった間違いの原因だったんだと思う。
モリッシーは昔から孤独な人間だったようだけれど、にも関わらず初期の頃から歌詞の中では実に大胆な問題発言をしてきましたよね。それに対するあなたたちの当初の反応はどのようなものだったのですか?
A:初めて”サファー・リトル・チルドレン”を聴いた時のことを今でも覚えているよ。なんだかヘヴィなテーマだなぁと思ったね。モーアズ・マーダーの内容だったから。レコーディングしたときに、テープを父に聴かせたんだ。全然反応が悪くてさ。もう聴かなくていいって言われたんだ。”ハンド・イン・グローブ”のレコードが出来上がった時もジャケットに裸の男の尻が出てたもんだから、父からの反応もこれまた冷淡なものだった。これ、僕が初めて作ったレコードだ、と誇らしげにいっても”あっ、そう”くらいだったもんね(笑)。ラジカルすぎたのかもね。でも、時によってはラジカルであることをあまりに意識しすぎたこともあると思う。
始めからずっとそういう調子だった?
A:いつも問題になるような内容だったね。ソロになってからも人種差別を取り上げたりとかユニオンジャックを掲げてみたりとかしてただろ?時にはまったくそれが自分の為になってないと思うけど。
M:でもそういったテーマが周りを刺激し、人々にそういったテーマについて考える機会を与えるというのはいい事だと思う。曲が単に良いとか良くないとかいったのとは別のレベルで人々を刺激することができると思うんだ。たとえば僕は85年に菜食主義者になった。それは”ミート・イズ・マーダー”をリリースした後だ。僕を菜食主義者に変えるほどだからかなり強力な歌詞だったはずさ。というのは、僕はそれ以前かなりの肉食野蛮人だったからね。だから歌詞が論争を触発するという点では良かったと思う。
M:そうだね。レイヴ・シーンが発達した87年から92年にかけて、パーソナリティが音楽シーンから無くなったと思うんだ。個人的には面白い時期だと思うにも関わらずね。男なのか女なのかアーティスト本人なのかセッション・シンガーなのか、わけがわからない時代があった。それに歌詞の中であまり意味のあることをいっている人は居なかったし。その音楽自体は好きだったけれどね。エクスタシーによって人の音楽に対する姿勢も変わったと思うけれどね。でもあの頃のミュージック・インダストリーはパーソナリティが存在しなかった。だからその点から考えればモリッシーの存在は評価している。但し、歌詞の中で歌っているいつくかの点には同意は出来ないけどね。ただ、人々に何かを考えさせるきっかけを与えた。たとえば”ヘヴン・ノウズ”なんて無理やりに就職させられて好きでもない職についたときの空虚さとみじめさを歌っているわけで、その点トラフォードの鉄工所で働くだけが職じゃないんだといっている。それは大いに意義のあることだった。
ところがジョーがマネージャーを辞めたことでスミスの方向性が決定的に変わってしまったという事ですか。
M:自然にああいう方向に向いていったんだ。バンドのコントロールの面で、それは避けがたかった。初期の段階ではジョーとジョニーがバンドの方向性を話し合っていた。ところが次第にモリッシーがコントロールをとりたがるようになった。
A:ジョニーに対してかなり所有欲もあったしね。
M:だからジョーとジョニーの関係を打ち壊そうとしたんだ。そして、それはかなりの成功を収めた。確かにパワー・プレイがあった。
その後、ジョーのような犠牲者が何人も出たんですよね。プロデューサーなど。
M:そう。
A:ジョン・ポーターなんかその例だね。ジョンはジョニーと仕事の点で団結していた。二人とも凄く気があってね。またジョンはジョニーのギター・プレイの最高の部分を引き出してくるのがうまかった。ところがモリッシーがそれに嫉妬をした。同じようなことはジョニーのワイフのアンジーに対しても起こった。モリッシーによってアンジーも押し出されそうになったというか。モリッシーはジョニーとの関係をカップルみたいに考えていた。その間に入って来る人間はことごとく押し出された。
で、その関係の中であなたたちはどこに位置していたのですか?
A:確かに彼らとかなりの時間を費やしたけれど、でもギグの後なんてモリッシーはひとり自分の部屋に帰ってココアでもすすりながら本を読んでたみたいだよ。僕らはパーティして楽しんでた。それがまたモリッシーには気に入らなかったんだよ。翌日ツアー・バスに乗ると二日酔いでどんよりした目をしている僕に対して軽蔑の目を投げかけたりとかね。
そういえば私がスミスんのツアーに同行した時、マネージャーに”他のメンバーの部屋からできるだけ遠い部屋”って注文してましたよ。
A:そうなんだよ(笑)。アメリカツアーの時だって僕らはツアー・バスでゆっくりしたかったんだよ。でもモリッシーと一緒だとリラックスも出来ないんだ。騒がず静かにしてなきゃいけない。忍び足でね。あと、音楽もシラ・ブラックとか無理やり聴かされて(笑)。そうそう、ステーキ食べにこっそり逃げ出さなきゃいけなかったしさ(笑)。
83年からステージに花を持ち込むようになりましたね。
M:ハシエンダに二回目に出演した時のことだった。”トップ・オブ・ザ・ポップス”をやった夜で、そのあとマンチェスターに電車で直行した。ハシエンダの歴史に残る大入り満員だったんだ。
A:本当はヘリで飛ぶ予定だったんだ。ところがモリッシーが”怖い”(まねして笑う)って言ってさ。で、電車になったんだ。
M:それは美しい雰囲気だった。ゴージャスで。
私もそこにいてあの時のことははっきり覚えています。楽屋が花の入った箱でいっぱいでしたよね。
M:チューリップとか水仙とかグラジオラスとか混ざってたと思う。何故あんなに美しかったかといえば、ハシエンダというのは暗くて神秘的で悲劇的でシリアスな場所でって雰囲気があったんだよ。花がその場をいっきに明るくしたんだ。とっても重要だった。
バンド内の安定期はどのくらい続いたのですか。美しい時期は短かったですか?
M:いや、そんなことはなかった。僕とアンディはかなりの長い間バンド内の問題には気がつかなかった。ツアーもうまくいってるし、会計士もちゃんと雇ってるし。弁護士もいたし。というふうに僕は思い込んでいたんだよ。実際にはそうじゃなかったけれど。音楽的には最後のシングルに至るまでは問題はなかった。あのシングル”サムバディ・ラブド・ミー”だけはレコーディングすべきじゃなかったと思うけど、それ以外は全く問題がなかった。ビジネスの面でどうしてうまくいっていると思っていたのかといえば、そういった話題がタブーになっていた。どういうわけか、話し合った事がなかったんだ。勿論今振り返れば話すべきだったんだけどね。何かが起こるまでは状況をそのまま受け入れてたんだ。
モリッシーの外国嫌いとか飛行機嫌いとか色々問題ありましたが、それがスミスのキャリアにブレーキをかけることになったのではありませんか?
A:それはもう、沢山のことにブレーキがかかったよ。ちっぽけなことから大きなことまでね。モリッシーは若いときにデンバーに行ったことがあるという理由で、デンバーより長いフライトが必要な外国には行けなかった。オーストラリアや日本には行けなかったんだ。なのにスミスが解散してから飛距離もでるようになったみたいじゃないか(笑)。ほんと、オーストラリアなんてナンバー1になったんで来てくれって懇願されてたんだぜ。あれがなかったら僕らはU2とかR.E.Mくらいになってたかもしれない。モリッシーの飛行機嫌いが巨大なブレーキになったのは確かだ。
ところでモリッシーの告白するところのセックスレス人間というのはどれほど本当だったのですか?
A:僕らの知る限りでは確かに性関係を持っている相手はいなかったようだ。または非常に巧く隠していた。でも実のところ彼はホモセクシュアルなんだけど、カミング・アウトする勇気がなかったんだよ。現在に至ってもそれを認めていないけどね。
M:というか、バイセクシュアルなんだよ。ジョージ・マイケルみたいなものさ。逮捕されるまでは人に公に打ち明けるということもしなかっただろ。たぶんそういった神秘の中に彼は自分を置いておきたかったんだと思う。若いときに5年もベッドルームにこもってたという神秘と似たようなものさ。でも実際のところ本当じゃない。あの頃だってアメリカの親戚の家に訪ねていったりしてたんだから(笑)。
スミスがラフ・トレードと契約したのは83年のことですが、スミスの結成によりインディ・シーン自体が変わったと思いますか。
M:スミスの成功がラフ・トレードに潤いをもたらし、それが他のインディ・グループを助けることになった。メジャーと契約しなくとも時間と資金さえあれば成長できるアンダー・グラウンドなグループがいたんだ。アズテック・カメラだってどうだと思うし。スクリッティ・ポリッティだってそうだろ?そういう形でインディの還元された利潤によって他のバンドを助けるというのは非常に重要なことだったと思う。
あれほど開花したインディ・レーベルの消滅をどう思いますか?
A:今やインディもメイン・ストリームもいっしょくただよね。レコード会社だって3つか4つしかなくなったし。EMIにユニバーサルにソニー。純粋なインディペンデント・レーベルの少ないこと。殆どはメジャーとタイアップしてるし。
クリエイションとソニーとか、フードとEMIとか。今でも何処かにインディのスピリットは引き継がれてると思いますか?
M:ああ。駆け出しのバンドにはあると思うよ。ただしレコード契約にこぎつけるやいなやそれは消えてなくなる。
A:新人の頃はインディが消滅したなんて気がつかないと思う。レコード契約をする段階で真にインディのレーベルなんてないんだって気が付くと思うんだ。インディはあるけど、それはメジャーのグラウンド・ワークに利用されてる。すぐに才能ある新人が出てくるやいなや、お金で買い取るのさ。そういう形で動いてる。
ラフ・トレードのプロモーションにもっと力があったらスミスはもっと商業的に成功していたと思いますか?
M:そう思うよ。そしてそれが彼らの義務だった。スミスが成功した時点でヴァージンのように一段階上のレベルに進化するべきだったんだ。もちろんインディペンデントな地位を保持しつつね。しかし、そうならなかった。だから僕は個人的に、ラフ・トレードを運営していたのはジェフ・トラヴィスのレイド・バックしたヒッピー・メンタリティによるものだったと思う。誰もクビにしないというのもうなずけなかったな。オフィスに行っても何が仕事なのか解らないような、ブラブラしている人間が沢山いて、会社としての構造が無いように思えた。メジャーなんて行くとボードがあってそこに誰がどこのテリトリーをやってとか詳しい構造があって・・・・。そういったものは一切ラフ・トレードにはないように思えた。ゴールド・ディスクを貰った時だって”スミスにデリバリー!”とかいって持ってきて、みんなが良くやったと励ましてくれるわけでもなくて。まぁ、僕自身は貰ってすごく感激したんだけどさ。ラフ・トレードの反応はクールだったな(笑)。
ところでラフ・トレードと契約した時モリッシーとシジョニーだけがサインした、という事実が大きな問題だと分かったのはいつですか?
M:契約書にサインした時はふたつのサインしか必要なかったから、モリッシーとジョニーが書類の近くにいたからふたりだけがサインしたのかと思っていた。あれがメンバーの二人だけが契約したという意味だとわかったのはずっと後になってからだ。僕は二人が四人の代表としてサインしたと思ったんだ。解散してから色んなことに光が当たった。お金の問題についてジョニーと話をした。どうやって口座を処理するのかと訊いたら、モリッシーが時間をかけてるから、という答えが返ってきた。で、モリッシーと話をするとジョニーが時間をかけてるから、という答えが返ってきた。それで変だと思ったんだ。別の会計士に調べてもらったら、口座に大いに食い違いがあることに気が付いた。25%ではなく、10%しか受け取っていなかったとわかったんだ。それで裁判に持ち込むことになった。同じ頃に、他にも色んなことが発覚した。ジョニーと話をして20%渡すという事になった。ところがその後ジョニーから連絡がなかった。
裁判はどれくらい続いたの?
M:88年に始まって、終わったのは二ヶ月前(この号は99年9月号です)だった。もし勝利しなかったら、破産して家も失っていただろう。子供も三人居るんだ。だから大変だったよ。でも裁判をやるしかなかった。経済的な理由は勿論巨大だった。それに加えモラルの問題でもあった。10年も続いた裁判だったからしだいに弱音も吐きたくなったし、あきらめたくもなかった。でも妻が、負けてもいいから実際に何が起こったのか人に知ってもらうのは重要だ、と言ってくれたんだ。それで裁判を続けたんだ。
裁判所では彼らと顔を合わせたんですよね。
M:そうだね、不思議な感じだった。みんな壁しかない同じ部屋にいるんだ。同じエレベーターを使って。強姦だとか刑事犯罪の裁判だったら一体どんな気持ちだろうね。僕らのケースですら充分落ち着かない気分になったから。ジョニーにも会って、挨拶もしたほどさ。モリッシーにしたって”ハロー”って言ってきて。あれは不気味な情景だった。
クレイグ・ギャノンが加わりましたが、すぐに脱退しましたよね。どうして長続きしなかったのでしょう?
A:彼はグレイトなギタリストだったよ。ジョニーがオーバーダブしたギターをライブで再現するために入れたんだ。5人目のスミスと言われたけど実際にはそんな感じじゃなかったね。個人的にはいいやつだった。ただ給料貰ってやってたから。・・・・いや、もらってなかったのかな(笑)。だからクレイグもモリッシーとジョニーを訴えなければならなかったんだ。
M:でもね、彼は抜けたっていうわけじゃないんだ。知らなかったはずだよ。僕だってアパルトヘイトのチャリティ・コンサートのレヴューを読んで彼が抜けたことを知ったんだよ。
不思議ですね、新聞で知ったというのも。
A:スミスから僕が解雇された件だって、逮捕された後のある日、車のフロント・ガラスのところに手紙が挟まってたんだ。その手紙には「アンディ、君はスミスを抜けた。幸運を祈る」と書いてあった。なんて冷たい人間だろうと思ったね。
M:気の小さい人間のやることだよね。
M:モリッシーはこの件を一切否定しているんだ。ジョニー・ローガンの本に書かれてからというもの。
じゃあ誰が書いたわけ?
A:でもモリッシーの筆跡だったんだよ、間違いなく(笑)。もし彼があの手紙を書かなかったら、僕の解雇はありえなかったということになるだろ?
解散もNMEのすっぱ抜きであなたたちは知ったわけでしょ?
A:ジョニーはジョニーはモリッシーの要求に応えられなくなったんだよ。要求があまりに多くなりすぎて。プレッシャーが募って。事実のところモリッシーはジョニーに恋してたんだよ。本人は認めようとしないけどね。ジョニーのワイフでさえモリッシーがいるときはジョニーといるのがぎこちなくなって。それでジョニーは二週間休暇をとったんだ。その間にプレスにジョニーが抜けたというニュースが伝わった。モリッシーが漏らしたのか、他の人間だったのか、それはいまだにわからない。で、ジョニーは休暇から帰ってきてそのニュースを聞いて、そうか僕はスミスを抜けたのか、っていう感じでその報道を受け入れたんだ。
M:ジョニーの休暇中にそれはいろいろとプレスの操作があった。モリッシーだけを指差したくないけど。だからプレスの事情とだけ言っておきたい。
さて、現在アジーズをやっているわけですが(今現在は当然やっていません)、音楽に対する姿勢というのはスミス時代とすっかり変わりましたか?
A:昔より明らかに歳をとって賢くなったと思いたい。音楽もやりやすくなった。ミュージシャンとしての腕も上がったと思うし。以前のような複雑な事情も無い。音楽が全てだから。他のメンバーのご機嫌取りも無いしさ。だからとってもいい。
M:僕は37歳だけれど、昔はレコード・レヴューとかライブ・レヴューに一喜一憂していた。そういう面が自分の中で弱まったと思う。というのは、ああいったものは単に一人の人間の意見として受け入れるようになったから。自分のやりたいことはもっとそれ以上のことだしね。アジズ・イブラヒムとアンディというメンバーでやりたい事は沢山あるし、それはそんなに難しいことじゃないんだよ。それで人に楽しんでもらえればグレイトだね。でも一番重要なのは自分たちが楽しむという事なんだ。トップ10ヒットが出ればそれに越したことはないけど、でもそれは僕のめざしている事じゃない。めざしているのは他のミュージシャンと共に素晴らしい音楽を作っていくことなんだ。今の形で音楽が続けられたらとても幸せだよ。
では最後に、スミス解散後のふたりの活動についてはどう思っていますか?
M:モリッシーは殆どクズだと思うね。ジョニーのエレクトロニックはなかなかいいと思う。なんだっけ、あの曲?”ゲッティング・アウェイ・ウィズ・イット”(=ごまかしながら逃げおおすこと)、なかなか言い当ててるタイトルだね(笑)。
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